HOME | 羽子板 | 羽子板の由来

HOME > 羽子板 > 羽子板の由来  

羽子板の由来 

羽子板は、昔からお正月に無くてはならない物の一つに上げられますが、それは江戸の昔から子供の生命に関わる行事として「子供に変わって羽子板で厄を払う」という行事が行われていました。
昭和の初めの頃、私もお正月になると1枚板を羽子板の形に切った表面に簡単な武者絵を描いたもので、羽根をたたき合って、今のバトミントンのように遊び、羽根が古くなると正月飾りとともに近くの川で「どんど焼き」と称して焼き払ったのを覚えています。(子供の頃は1月13日に行っていました)
こうした一連の行事は、子供に代わって厄を払うという風習が昔から続いていたことを物語っています。これが江戸時代も中期頃になると次第にこの羽子板に装飾性が生まれてきて、美しい羽子板を職人に作らせてこれを贈答用として子供の誕生した家に贈ったそうです。

江戸で正月になると盛んに行われていた羽根つき(東京国立博物館)の図です。

江戸で正月になると盛んに行われていた羽根つき(東京国立博物館)の図です。


写真にある京風の羽子板は、京都冷泉家に伝わる羽子板で、大名家や将軍家までもが金銀蒔絵の上に下地を施して、凹凸文様の雲形地模様を付けたり、源氏物語絵巻などの世界が見事に彩色された羽子板を贈り合っていたことが分かります。
京都冷泉家に伝わる百人一首カルタと、京風羽子板(42×14cm)で、みかわ工房の羽子板が手本とした物です。

京都冷泉家に伝わる百人一首カルタと、京風羽子板(42×14cm)で、みかわ工房の羽子板が手本とした物です。


 
江戸の後期になると、それまで羽子板の制作は京都で作られていたものが、次第に庶民に行き渡るようになると江戸でも羽子板が作られる様になり、京都とは違って押し絵羽子板作り出されてきたそうです。
みかわ工房の羽子板は、江戸中期まで将軍家や大名家で贈答品として持てはやされていた「左義長羽子板」を復刻し、桐の1枚板に金箔仕上げを施して、その金箔の上に源氏物語や「紫式部日記」の世界を1つ1つを注文を受けて制作に取りかかっています。
みかわ工房で制作した手描きの羽子板です。1枚1枚が金箔仕上げの豪華な物です。

みかわ工房で制作した手描きの羽子板です。1枚1枚が金箔仕上げの豪華な物です。


ご注文は、これまでに制作した見本がありますので、選ばれた羽子板の仕上げを「薄く柔らかい仕上げにするか」か「濃いめでハッキリとした仕上げ」を選んでいただければ、お客様のご意向に沿うように仕上げたいと思います。
 

  • みかわ工房の羽子板制作見本です。

    羽子板全見本


  • みかわ工房の羽子板の特徴と、由来について

    羽子板の由来

  • みかわ工房の手描き彩色の羽子板の色居合いについて

    色合いについて

  • みかわ工房の羽子板が完成するまでをまとめて見ました。

    完成まで


  • 羽子板を作って見よう。という企画です

    羽子板を作ろう