私たちの恩人

20101209_1685301-1私は熊本生まれ、妻は福岡生まれで、大分には大学があった関係で、卒業後も住み着くことになり、しばらく大学のあった別府に住んでいました。
その後、2人の子供が生まれて、別府は暖かくて買い物にも便利だし子育てのためにもずっと住みたいと思っていました。
ところが、住んでいたアパートの前に、光が全く入らない状態の建物が立ち、途方に暮れていました。
そんなとき、絵を教えていた生徒の親が、アパート業をしていると言うので、一度電話してみました。
「1度出ていらっしゃい。」と言うことで、あまりなじみのない大分市(別府から30分程度のところ)に出かけてゆきました。
Oさんの家は、市内でアパートから温泉、喫茶店と手広くやっておられて、車もなかった私たちは、びっくりするばかりでした。
私は、「子供を育てるために、日当たりが良い一軒家があればそれも古いもので良いです」と言ったところ、「あるわよー。土地もあるから見るー」と言われて、「はい、見たいです」と言ってしまいました。
お金もないのにと思いましたが、その時は光の入らなくなった家に住むつらさから、つい言ってしまいました。
それから、ご主人に連れて行ってもらったのが、現在住んでいるところです。
それから住宅を建てるまでは、3年ほどかかりましたが、それまでの住まいも、Oさんお世話になりました。
その後、30年近く住んでいるこの地域を、特色あるものにしようと、自宅を開放してみんなに来てもらったり、演奏会を自宅に出前したりと様々な催しをする事になりましたが、その時も「私も、何か手伝おうね」と言って、野点を大分市美術館の庭でやったりと、裏に表にお世話になってきました。
そのOさんが、昨日亡くなられました。
優しくふっくらとしたお顔が、生前の面影をとどめていて泣けてしまいました。
私たち夫婦には、恩人と呼ぶ人がいるとすれば、このOさんです。
私は、Oさんとお約束した様に、この地を特色ある地にして行きたいと思っています。やすらかに、、
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左手奥の方がOさんです。

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