玉の湯の雛たち

2~3年前だったろうか、湯布院の「旅館玉の湯」のNさんからから電話があり、「婦人画報に九州のひな祭りが特集されるから、それに藤原さんの雛を載せていい。」 どうぞどうぞ、、で載ったのがこの写真だった。
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この雛人形は、「若菜」という大きさが4~5cmほどの小さくて手のひらサイズで、色も春先のフキノトウをイメージして作った雛人形だ。
雑誌と言えば「玉の湯」でもう一つ思い出があります。ある日の夕方、知り合いの居酒屋から電話があって「今雑誌の記者がウチの店に来て、大分の手作り作家を探しているから、藤原さん誰か紹介してよ」だった。程なくしてその記者さんは家にやってきた。
聞くとダイエーの雑誌で「オレンジページ」という当時人気の雑誌の記者さんだった。
私は大まかな話をして「実際に大分の作家が作ったものを見るんだったら湯布院の玉の湯か、亀の井別荘に行った方がいいと思います。」と言ってその二件を紹介した。
次の日湯布院に行ったその記者から「藤原さんの雛人形も玉の湯にありましたが、掲載していいですか?」と聞かれたので「どうぞ」、、「電話番号も載せていいですか」、、と聞かれて、販売している玉の湯の電話番号を紹介する事にした。
それからしばらくして事件は起きた。
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この写真がその雑誌だ。これが、新聞の紹介にも、電車の中刷りにも、本屋の入り口にも私の雛人形「横笛」が写真付きで掲載されている。
程なくして玉の湯のNさんから「横笛の注文が毎日殺到して、大変よ」とのことだった。当然作っている私のその一週間後から半年ほど来る日も来る日も「横笛」を作り続けた。
20101209_1684442(当時の横笛)
10数年も前の事なのに、未だに全国のお雛様が好きな方から「玉の湯で見た雛」といって電話がある。
いま、当時を思い出すと、何かおかしくなってしまう。のどかだったのだろうか。

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