賀来 飛霞(かく ひか)という人

賀来 飛霞(かく ひか)と言う人は、大分県に住んでいて全く知らなく、芸能人の「賀来千香子」さんが同じ「賀来」で、この賀来 飛霞と言う方は、遠い先祖にあたると言うことを聞いたことがありました。

それが、今回大分県の北部宇佐市にある「大分県・歴史資料館」で「賀来 飛霞生誕200年記念」という紹介がテレビや新聞ラジオで紹介されていて、その中で植物を描いた水彩画が出ていたのをチラッと見たことがきっかけで、この方を知りたいし、その絵を見てみたいと言うことで初日の10月15日に出かけてみました。

宇佐市歴史資料館

館内に入ると、大分県の江戸時代幕末の文人「三浦梅園、帆足万里、広瀬淡窓」と豊後の三賢が紹介されていて、この中の帆足万里に幼いときから医学や本草学(仙人思想と薬の学問を分けて学ぶ学問)を学んでいるようです。

そのあたりの紹介が、館内の前半では詳しく紹介されていて、「賀来 飛霞」の水彩画は無いのかなーと思って最後の部屋に行くと、スケッチブック大の和紙に細かく彩色された植物画が、100点近く質素な額縁に入っていて、間近で見ることが出来ます。

植物の絵が賀来 飛霞が13才あたりから始まっていて、15才、17才、23才と見事な色彩と細かい表現がなされ、植物の小宇宙を見るようでした。

賀来 飛霞(かく ひか)の水彩画、フジカンゾウの写生図

 

下の絵は、1831年、15才ころの「ヤブラン」を描いた絵で、本草学とは余り関係の無い花弁の成り立ちや、チョウチョウのさなぎまでも描くといった、さながらレオナルド・ダビンチの植物画の域まで至っているようです。この表現をカメラに収めようと試みましたが、彼の表現の詳細さと奥の深い表現は印刷技法やレンズの力ではで捉えることは出来ません。

賀来 飛霞(かく ひか)の水彩画 ヤブランの写生図

 

しかし、1852年36才ころの絵、このあたりにあたりになると、どうも視力が低下してきたらしく繊細な表現は、穏やかな表現へと代わっていっています。18才あたりで観察と表現の極地にたどり着いた人が、視力の限界という肉体的なことで断念しなければならないと言うことは、いかに辛かったことだったでしょう。賀来 飛霞(かく ひか)の水彩画 ヤマボクチの写生図

この後、医者としての勤めや、小石川植物園の初代館長なするなどされて、退官後は故郷の院内町佐田地区に帰って、平和に過ごされたようです。

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