「伊勢物語」は、平安時代に歌人在原業平が、短編の文章として書いたものに、時々の画家が物語の一部を描いていますが、なかなか保存のいいものが伝わっていないようです。
私は、高校時代に古文で「筒井つの井筒にかけしまろがたけ過ぎにけらしも妹見ざるまに」という歌を聞いたことを覚えています。この機械に一通り三十段あたりまで読んでみて、楽しかったり美しかったりするものを5つ選んで貝合わせにしてみました。
二十三段(筒井筒)
むかし、田舎わたらひしける人の子ども、井のもとにいでゝあそびけるを、大人になりにければ、をとこも女も恥ぢかはしてありけれど、をとこはこの女をこそ得めと思ふ。女はこのをとこをと思ひつゝ、親のあはすれども、聞かでなむありける。さて、この隣りのをとこのもとよりかくなむ。
筒井つの井筒にかけしまろがたけ過ぎにけらしも妹見ざるまに
一八段(くれない)
むかし、まな心ある女ありけり。をとこ近うありけり。女、歌よむ人なりければ、心見むとて、菊の花のうつろへるを折りて、をとこのもとへやる。
くれなゐにゝほふはいづら白雪の枝もとをゝに降るかとも見ゆ
をとこ、知らずよみによみける。
くれなゐにゝほふがうへの白菊は折りける人の袖かとも見ゆ
一四段(陸奥)
むかし、をとこ、陸奥の国に、すゞろに行きいたりにけり。そこなる女、京の人はめづらかにや覚えけむ、せちに思へる心なむありける。さてかの女、
なかなかに恋に死なずは桑子にぞなるべかりける玉の緒ばかり
歌さへぞひなびたりける。さすがにあはれとや思ひけむ、いきて寝にけり。夜深く出でにけれは、女
夜も明けばきつにはめなでくたかけのまだきに鳴きてせなをやりつる
といへるに、をとこ、京へなむまかるとて、
栗原のあねはの松の人ならば都のつとにいざといはましを
といへりければ、よろこぼひて、おもひけらし、とぞいひをりける
九段(東下り)
むかし、をとこありけり。そのをとこ、身をえうなきものに思ひなして、京にはあらじ、あづまの方に住むべき国求めにとて行きけり。もとより友とする人ひとりふたりしていきけり。道知れる人もなくて、まどひいきけり。三河のくに、八橋といふ所にいたりぬ。、、、
富士の山を見れば、五月のつごもりに、雪いと白う降れり。
時知らぬ山は富士の嶺いつとてか鹿の子まだらに雪の降るらむ
その山は、こゝにたとへば、比叡の山を二十ばかり重ねあげたらむほどして、なりは塩尻のやうになむありける。
初段(春日野の若紫)
むかし、をとこ、うひかぶりして、平城の京、春日の里に、しるよしゝて、狩に往にけり。その里に、いとなまめいたる女はらから住みけり。このをとこ、かいま見てけり。おもほえず、ふるさとに、いとはしたなくてありければ、心地まどひにけり。をとこの着たりける狩衣の裾を切りて、歌を書きてやる。そのをとこ、しのぶずりの狩衣をなむ、着たりける。
春日野の若紫のすり衣しのぶの乱れかぎり知られず
となむ、をいつきて言ひやりける。ついでおもしろきことゝもや思ひけむ。
みちのくの忍ぶもぢすり誰ゆゑに乱れそめにし我ならなくに
といふ哥のこゝろばへなり。昔人は、かくいちはやきみやびをなむしける。